短 歌


2000年8月、13泊14日で「田部井文雄先生と行く唐詩の旅」に参加、
シルクロードを踏破。敦煌―トルファン―アクス―カシュガル―ウルムチとめぐる。
炎熱のシルクロードで見た雪に輝く天山山脈の印象は強烈。
紀行は「西域紀遊」と題し、「斯文会報」44号(2000年10月10日 財団法人斯文会刊)に発表。



▲ 陽関の遺跡


火焔山の燃え立つ空の果てにある峰を彩どる天山の雪

オアシスの風に吹かれて咲く花の姿やさしき紅柳かな



天空より雨花を舞はせて降り来る千仏洞の弘福童子



▲ 村山慶子 書

鹿王の壁画頽(くず)れてクムトラの川に臨める座禅のいわや



▲ トルファン・鳩摩羅什の壁画の前で

乾溝をめぐりめぐりて岩稜の重なり立てる天山を越ゆ

狼煙(のろし)挙げ急を告げしと言う烽火台に雲一つ来て天に留まる

砂棗の風に揺れいる暁に空に懸りし新疆の月

ノドを診て熱を量りてウイグルの女医の呉れたる三種のくすり

天山のやまなみ近き三岔口の回民飯庄の辛き拌麺




▲ トルファン・蘇公塔



2001年4月6日〜13日、早稲田大学エクステンションセンタートラベルスタディ
「村山先生と行く曲阜・泰山の旅」で、五十名の人々と
青島―緇博―蒲家荘―曲阜―泰山―済南―青州をめぐる。
泰山に登り、曲阜では孔子廟で『論語』を読む。






※ リラはライラック。中国では丁香。
白と紫とあり、この花の咲く頃の「寒の戻り」がリラ冷え


麦畑の赭き土くれ踏み尽し辿りつきたる管夷吾の墓 〈 春秋時代・斉の古墳 〉

海棠の睡れる花の咲き満つる狐話の松齢の故居 〈 聊斎即事 〉

※ 「海棠睡未足」は楊貴妃の故事に出づ

名にし負う柳樹の岸のうすみどり水に映れる新しき色 〈 明湖春柳 〉

風に揺れ薄日の光集めつつ岱廟に咲く山桐の花



はるけくも望み来りし泰山よ寒風吹くべし坂上るべし




▲ 横山淳山人先生 書

麦青み菜の花黄なり桃咲きて斉魯大地に春はきはまる



2002年7月1日〜8日、早稲田大学エクステンションのトラベルスタディ
「村山先生と行く西安・洛陽の旅」で、五十名の人々と、唐代の古都をめぐる。
西安(古代の長安)では楊貴妃の墓で小著「楊貴妃」(中公新書)を献納。
大雁塔を訪ねる。洛陽では竜門石窟を参観。ついで五岳の一つ崋山に登る。




▲ 「天津の泥人形」 村山慶子 画

命生きてこの周原に辿り来て古公亶父の像に逢ひたり





▲ 横山淳山人先生 書



竜門の石の仏のひざの上にぬかづき捧ぐ小さき祈り

身の汗の塩となりゆく崖道を老の念力こめて歩めり 〈 華山 〉



甲申七月函館に遊び、開港の往時を偲び、或いは啄木の詩歌の跡を訪ねた。



恙なく老いて家妻とさいはての湯の川の温泉に三日過ごせり

恙なく老いて名に負う函館の「海峡ラーメン」の具を噛みている



▲ 横山淳山人先生 書



▲ 「立待岬」 村山慶子 画


啄木の青柳町こそ哀しけれ夕まぐれなるいしぶみの文字

公園に名のみ残せる五稜郭車前草(おおばこ)の道ひたすら歩く

おみなごの修道院は窓閉じて紅きバラ咲く夏の光に

草むしる男その名を教えくれしトラピスチヌの水蝋の花



▲ 「トラピスチヌ」 村山慶子 画

海の色目に果てしなき砂浜にはまなす咲けり朱にあふれつつ

五島軒のカレーは辛し濃き色のコーヒー飲めり函館の午後

ハリストの教会堂のバラの花白きを愛でて下る大坂



2005年8月、私学事業団の研修旅行に加わり、
アテネ―メテオラ―デルフィ―オリンピア―ミケーネ―コリントスをめぐり、
最後にエーゲ海クルーズを行う。アテネでは単身、シュリーマンの館(やかた)を訪ねる。
紀行文は「ギリシャ紀行―東亜文明のルーツを訪ねて」と題し、
「斯文会報」55号(2006年4月10日刊)に発表。



▲ オリンピアの競技場


パルテノン登り来れば神殿は一木もなき灼熱の夏

育たぬは投げ棄てしといふスパルタの児らのなげきの谷底の草

カランバカの涼しき朝は跳ねて飛ぶ子猫五匹と戯れにけり



タベルナのウインドサイドの昼下がりノウゼンカズラ花明かりして

岩山を下り下りて辿り着くナフプリオンの青き海かな

ゴルゴスの腰掛石に刻まれし古代文字の劃の鋭さ

紅と白の色とりどりにオリンピアは夾竹桃の美しき町



コリントスの遺跡の石にまつわりてむらさき燃ゆるブーゲンビリア




▲ 横山淳山人先生 書



サラミスの島影遠し海原は白き波濤の消えつ躍りつ



中国詩経学会主催の国際会議に出席。2004年8月4日―8日。
承徳は、旧熱河省の省都。北京から古北口の長城を超えて210キロ。
清朝の「避暑山荘」があり、これは世界遺産ともなっている。
紀行文は「承徳紀遊」と題し、「斯文会報」53号(2005年4月10日刊)に発表。


路行けば楡の並木の梢より花のこぼるる燕北の街

〈 足下留情 〉
園林の草青々と「足元に情を留めよ」と立札のあり




▲ 村山吉廣 書

愛親覚羅の栄華の夢の消え残る如意湖に浮かぶ紅蓮のはちす

文津閣も近き中州よ翡翠(せきれい)は羽美しく枝移りして

山桃は丸く小さく色づけり慈禧太后の居処の院子(ゆあんず)

山荘の湖区を歩めり橋渡り又た橋渡り涼しき朝を

山荘の山区を行けり四面山は松のみどりの覆ひたるところ

老耄の身を唐国に使して夜の宴に豚の耳喰ふ

黄金の瓦輝く台(うてな)ありラマの教えの普陀宗乘の廟

僧冠峰に松の風吹き燕山は雲散々に黄昏にけり

磬錘峰切り立つ岩に真向ひて尾根道を行く列に我あり

唐黍と粟の畑に埋もれて日輪の花咲きていたりき

限りなく日の射している野面なり興隆站(しんろんじゃん)を過ぎ行きければ




▲ 横山淳山人先生 書



2005年9月、早稲田大学エクステンションセンタートラベルスタディ
「村山先生と行くシルクロードの旅」。
私としてはシルクロード再遊。同行者40名。
西安―敦煌―トルファン―ウルムチ―北京のコース。ウルムチでは「天池」探訪。



▲ 天池よりボグタ山を望む


泥俑の文吏も武士もそれぞれにつつしめるかな手の置きどころ

アスターナの土の中より現はれて舌荒々し鎮墓のけもの

首もがれ手を奪はれて倚坐像は寂としてあり北魏のいわや

膝を容るれば足れりとせるか切り立てる崖に臨みし禅定の窟(くつ)

高僧のかたへに立ちて手を合はす回鶻王子の朱き衣(きぬ)かな

ハミ瓜の味の甘さと歯ごたえを楽しみいたるトルファンの宿



天空より舞ひ下り来て説法に楽を奏でる飛天の乙女

ウルムチの陝西大寺の古庭は赤まんまの花咲きていたりき



2006年8月、中国四川省成都の奥にある南充市にて国際詩経学会に参加。
帰途、成都観光を行い、武侯祠―杜甫草堂―望江楼公園―四川大学博物館などを一巡。
さらに峨眉山―楽山大佛―眉山県三蘇祠も訪れた。




紫薇の花咲くや四川の公園の風なき昼の蝉しぐれかな

炎天の岩にまたがり見はるかす青嶺(あおね)重なる峨眉の山巓



七十七の命を享けて仰角の峨眉の岩根をわが歩み居り

灯赤き蜀の都の夜の市に売られて光るざくろいちじく

岷江の浪音高しありたたす大き佛をおろがみまつる




▲ 成都・杜甫草堂



『棕櫚の花』(2000年4月・古稀祝賀会配布本)に収めた短歌以後の作品で、
「天山十詠」―「西域八詠」以外の雑詠。



▲ 栗本青岳先生 画


〈 渋温泉 〉
湯の街の秋の日暮れの木間瀬川橋桁近く水流れけり

〈 山田温泉 》
大猿も小猿も木々にとまりをりからくれないの山のもみじ葉

〈 新潟県中之口村 〉
初夏の青田のなかの越国の一筋つづくはざかけの道

〈 どんどまつりの新潟市内で 〉
五十年の歴史ありと言ふ喫茶店の楽の音を聴く古町の午後

〈 小鹿野 〉
艮斎のいしぶみ古りて黒土に彼岸花咲く秋をあわれむ



〈 身延山詣で 〉
身延山の奥の奥なる宿坊に籠りて飲みし一壺の酒

草を抜く手を休めてはしんしんと夏の暑さを耳に聞き入る

京の街急ぐ車の窓打つはまぎれもなくて北山しぐれ

里山に日の暮れてゆく落葉道句碑の一つも建てておきたい

〈 一関祥雲寺 〉



▲ 村山吉廣 書

みちのくの一関にて「関山(かんざん)」の一瓶の酒に我は酔ひたり

みちのくの白石川の峽(かい)の湯の小原の里のコスモスの宿

〈 信州秋風 〉



▲ 栗本青岳先生 書ならびに画

雲くだる常念岳に真向かひて道祖の神は秋風が中

時雨ふる野を辿り来て暗き灯の穂高の町に馬刺食ひけり

柿買ひぬかりんも買ひぬ湖の辺の信濃の秋を訪ね来たりて

〈 韓国 李相宝教授八十の賀に 〉
学問のえにしによりて韓国(からくに)の君の八十路をことほぐ我は

北韓の山脈遠く眺めたる首爾(ソウル)の秋のなつかしきかな

すこやかに安けくあれともろびとと八十の賀に歌奉てまつる

人々の心うるおす著書多く書香の家の名を高めたる


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